息するように365のセリフ
原作 フランツ・カフカ
脚色 第二次谷杉
001 青年 あっ、おひさしぶりです。
002 家主 あぁ、ひさしぶり。
003 青年 きょうは?
004 家主 きょうは?とは?
005 青年 えっ、いや…、たいした意味は…。
006 きょうはどうしてこちらに?というか、
007 社交辞令、ただの挨拶です。
008 家主 こんにちは、だね。
009 青年 いや、きょうは?です。
010 家主 こんにちはの語源なんですよ。
011 『こんにちは、良い天気ですね』とか。
012 青年 とか?
013 家主 『こんにちは、ご機嫌いかがですか』がですね。
014 青年 ああ、だからこんにちは。
015 家主 省略されて挨拶になったんです。
016 すいませんね、変な返事をしてしまって。
017 ちょっと考え事をしていたので。
018 作者 やっぱり外の空気はおいしいね。
019 青年 で、今日は?
020 家主 ああ、散歩ですよ。
021 青年 ご自宅、このあたりでしたか。
022 家主 いや、ちょっと離れているんですが。
023 公園の入口まではバスで。
024 青年 で、池の周りを散歩している、と?
025 家主 ええ、ブラブラと。
026 青年 いいですね。水のある公園は。
027 家主 ですね。…、じゃ、また。
028 青年 えっ、じゃ、またっていつ?いつですか?
029 家主 具体的にいつというわけでは…、
030 社交辞令みたいな、慣用句ですよ。
031 青年 普通の挨拶的な?ですか?
032 家主 ええ、すいません。
033 青年 こちらこそ、すいません。
034 変なつっこみしてしまって。
035 何かあったんですか?
036 家主 ちょっと歩きながら話しましょうか。
037 青年 いいですね。わたしも散歩は好きですよ。
038 作者 わたしもです。
039 家主 こっちから池をまわろうか。
040 青年 反時計回りが落ち着きますね。
041 家主 反時計まわり?
042 青年 鳥からみて反時計回り。
043 家主 空の上から見てってことですか?
044 青年 スーパーの導線も同じらしいですよ。
045 家主 そうなんですか?
046 青年 時計回りだとあまり余分な物を買わないらしいですよ。
047 家主 そうですか?私なんていつも余計なもの買っちゃいますよ。
048 青年 何かお話があったのでは?
049 家主 ええ、ちょっと気になってることがあってね。
050 青年 なんですか?
051 家主 オドラデクがね…。
052 青年 はあぁ?
053 家主 だからオドラデクが…。
054 青年 お・ど・ら・で・く、ですか?
055 家主 最近オドラデクがね。
056 青年 だからオドラデクって?
057 家主 新聞読んでない?
058 青年 ネットニュースは見てますよ。
059 家主 テレビは見ないんですか?
060 青年 すいません。
061 家主 いや、あやまってもらうようなことじゃないけどね。
062 青年 オドラデクってのは、日本語じゃないですね?ドイツ語?
063 家主 いや、もともとの語源はスラブ語らしいんだけど。
064 青年 スラブ語?スラブってのは?
065 家主 ロシヤや東ヨーロッパあたりで使われた言語でね。
066 今はもう使われていない言語なんですよ。
067 青年 たしかにそんな感じのする言葉ですね。
068 家主 今のチェコとかポーランドとか。
069 あるいはドイツ語が起源で。
070 青年 ほら、やっぱりドイツ語っぽいもの。
071 家主 で、ドイツ語がスラブ語に影響を与えたとか。
072 青年 ああ、諸説あります、ってやつですね。
073 家主 どっちも正しくないってことは確かなんです。
074 青年 正しくないという結論は正しいと…。
075 家主 まあ、そんなことはどうでもいい。
076 それで何かが解決するわけじゃないから。
077 青年 まあ、そうですね。
078 家主 でもオドラデクってやつは実際に存在してるからね。
079 研究している人もいる。
080 青年 やつって。人の名前ですか?外人?
081 家主 ちょっと声が大きいよ。ここ公園なんだから。
082 青年 すいません。…、外人…ですか?
083 家主 いや、見た感じ平べったい星型の糸巻きみたいな。
084 青年 ドイツ製?メイドインジャーマニーの糸巻きみたいな?
085 家主 実際に糸が巻き付いている。
086 青年 じゃ糸巻きですね。
087 家主 でも糸はボロボロ。ぐちゃぐちゃに絡まって。
088 糸くずはいろんな材質で色もいろいろ。
089 青年 猫用ブラシみたいなものですか?
090 家主 ただの糸巻きじゃないよ。
091 青年 高いんですね、やっぱり。外国製だから。
092 家主 星型の胴体で真ん中に短い棒がでていて、
093 その棒からもう一本短い棒がでてる。
094 青年 そこにも糸がまけるんですね。便利かも。
095 家主 本当の糸巻きじゃないんだから。
096 その棒と星型のトンガリを使って立ち上がるんですよ。
097 青年 立つんだ。
098 家主 もとは目的をもってしっかり立ってたって説もあるけど。
099 青年 壊れてるんですね。
100 家主 いや壊れていない。
101 青年 どうして壊れていないってわかるんですか?
102 家主 壊れた跡はないからね。
103 青年 壊れてないのに不完全っぽいって、
104 家主 存在としてはできあがっているというか。
105 青年 でもガラクタっぽい。
106 作者 こんにちは。はじめまして。
107 読者 えっ、あぁ、あなたは。
108 作者 作者です。あなたは?
109 読者 作者?何の作者なんですか?
110 作者 この物語…かな?ところであなたは?
111 読者 私は読者…かな?
112 作者 この人達面倒くさそうな人たちですね。
113 読者 私にはあなたのほうが面倒くさそうにみえますけど。
114 作者 ちょっとこの人たちについていきますか。
115 家主 ところで、にぎやかだね。ここは。
116 青年 ああ、そうですね。遊具もありますから。
117 家主 いつもそうですか?
118 青年 うん、休日だけでなく平日も。
119 家主 いいもんだね。
120 青年 ええ、走り回ってますね。
121 家主 あっ、ころんだ。
122 青年 えらいな。あの子泣かないよ。
123 家主 親が駆け寄ると泣くんだよね。
124 青年 そんなもんですか。
125 家主 あんなに走り回っても意外にぶつからないよね。
126 家主 オドラデクはすばしっこいよ。
127 青年 走るんだ、それも。
128 家主 走るというか激しく動き回るんだ
129 青年 生き物なんですか?それ。
130 家主 捕まえることもできないから、
131 はっきりとしたことはわからないんだ。
132 青年 お・ど・ら・で・く、ねぇ。
133 家主 生物でもあり無生物でもある。らしい。
134 青年 そんなの最近何かありましたよね。
135 家主 いや、私もよくはわからないんですけどね。
136 通行人 ちょっといいですか?
137 青年 はい?なんでしょう?
138 通行人 ちょっと耳に入ったんですが、オドラデクって。
139 家主 ええ、彼がオドラデクのこと知らないって言うんで説明を。
140 通行人 オドラデクをご存じない?
141 青年 すいません。ものを知らなくて。
142 通行人 いや、あやまってもらうようなことじゃないけどね。
143 家主 ほら、オドラデクのことはみんな知ってるだろ。
144 通行人 まあ、知ってるって言っても正体不明ですけどね。
145 青年 正体不明であることを知っている。
146 通行人 結局何でしょうね。
147 青年 例えば、どのような?
148 通行人 例えられないものなんですよ。
149 青年 でも糸巻きみたいなとか。
150 家主 それは見た目のひとつの側面で。
151 通行人 なんとかみたいな存在…ではないよ。
152 青年 ご覧になったことはあるんですか?
153 家主 もちろん。あなたは?
154 通行人 はっきりと見たことはないんですよ。ちらっとしか。
155 家主 色んな所で目撃はされてますよ。
156 青年 この近所でもですか?
157 家主 昨日、東京都では2503人が目撃。
158 通行人 前の週の平均を5週連続で上回ってますね。
159 家主 これからもっと増えますかね。
160 読者 やっぱりね。
161 作者 なにが?
162 読者 作者はなんとか今と接続しようとしてる。
163 作者 そんなことないですよ。たまたまです。
164 読者 いや、それじゃ意味がない。
165 作者 どうとるかは読者の権利ですけど。
166 通行人 屋根裏、階段、廊下とあちこちに出るらしいですよ。
167 家主 そうですよ。交互に、屋根裏、階段、廊下と。
168 かと思えば、何週間も出てこないときもある。
169 通行人 その間どうしてるんでしょうね?
170 家主 きっと他の家に行ってるんだろうけどね。
171 青年 いなくなればそれでおしまいって事ですか?
172 家主 いや、必ず我が家に戻ってくるんだ。
173 通行人 うちにも戻ってきますかね。
174 家主 きっともう戻ってきてますよ。
175 通行人 心配になってきました。急いでうちに帰ります。
176 青年 お気をつけて。じゃ、また。
177 通行人 本当にもううんざりですよ。
178 家主 お気をつけて。じゃ、また。
179 通行人 こんどお会いしたらお話の続きを聞かせてください。
180 青年 本当だったんですね。オドラデク。
181 家主 なんだ、疑ってたの?よかったよ、信じてもらえて。
182 読者 このオドラデクってのがほら、あれみたいなってことでしょ。
183 作家 そんなに簡単に結論みたいなこと言わないでくださいよ、
184 青年 神社ですね。
185 家主 今まで気が付かなかったの?
186 手を合わせてる人、結構いるよ。
187 青年 私は無神論者ですから。こういうものに無関心で。
188 家主 気が付かない人は気がつかないよね。
189 青年 鳥がたくさん。
190 青年 本当に水のある公園っていいですね。
191 家主 冬の渡りの準備だね。
192 青年 ここは小さな湧き水がありますね。
193 青年 何度来ても何か発見がありますね。
194 家主 散歩ってそういうもんですよ。
195 妻 ああ、やっぱりここにいらしたんですね。
196 家主 なんだ、どうして君が。
197 妻 出かけたままちっとも帰ってこないから、心配で。
198 家主 いつものことだろ。
199 妻 今日はちょっと胸騒ぎがして。
200 青年 あの、こんにちは。
201 妻 こんにちは。ご迷惑おかけしていませんか?
202 青年 いえ、まったく。いつもお世話になってます。
203 妻 この人は人のお世話なんてしないですよ。
204 青年 いえ、いえ、そんなことないですよ。
205 妻 そうですか?
206 青年 いまも、オドラデクのことをうかがってて。
207 妻 今日もね出かけるときに玄関横にいましたよ。
208 青年 オドラデクがですか?
209 家主 やっぱり戻ってきたか。これで5回目だよ戻ってくるの。
210 妻 玄関の横の手すりに持たれかかっていて。
211 青年 いるんですね。オドラデク。
212 家主 だから、いますよ。
213 そんなのいないって言いはる人もいますけど。
214 妻 つい話しかけてみたくなりますよ。
215 青年 えっ、話せるんですか?
216 妻 難しい話しは無理みたいですけど。
217 家主 ちっちゃな子供みたいなもんだろ。
218 妻 3歳児くらいの知能ですかね
219 青年 え?そんなに大きいんですか?
220 妻 いえいえ、大きさはこのくらい。
221 家主 ハイライト一つ分くらいかな。
222 青年 ハイライトって?
223 家主 タバコ。昔は大きさを示すのによく使われたんだけどな。
224 妻 パスモをひとまわり大きくしたくらい。
225 青年 ああ、わかりました。このくらいですね。
226 妻 だからこどもに話しかけるみたいに
227 家主 「お名前は」と聞くとね。
228 青年 答えますか?
229 家主 オドラデクって言うんだよ。
230 青年 日本語がわかるんですか?
231 家主 アメリカでは英語で答えるらしいよ。
232 青年 アメリカにもいるんですか?
233 家主 いますよ。世界中に。
234 青年 全部オドラデクっていう名前ですか。
235 ミケとかシロとかじゃなくて。
236 家主 あいつらみんな同じだからね。
237 名前なんてないんだよ。きっと。
238 妻 どこに住んでるの?って聞くとね。
239 家主 不定住。って言うよ。
240 青年 不定住ってなんですか?
241 妻 住所は定まっていないっていう意味で不定住。
242 青年 ホームレスじゃなくて、住所が定まらないってことですね。
243 妻 不定住って言って大笑いするのよ。
244 青年 笑うんだ。
245 妻 そりゃ笑うでしょ
246 家主 3歳児くらいの知能はあるからね。
247 妻 その笑い声がね…。
248 家主 ザラザラって言うか、ズーズーって言うか
249 妻 息しないで笑う人のような笑い声なんだ
250 家主 落ち葉がカサカサ鳴るような
251 妻 ただただ耳障りな声なんだ。音だね。
252 家主 いつも返事するわけじゃないんだ。
253 妻 そう、いつもは無口で。
254 家主 話しかけても木のように無口でね。
255 妻 オドラデクは木でできていますよね。
256 家主 本当の木かどうかはわからないけど、たしかに木っぽいね。
257 妻 木材ですね。
258 青年 今日は随分ボートがでてますね。
259 妻 水面が鏡みたいだ。
260 青年 ボートが線対称で写ってますね。
261 妻 ボートも木ですか?
262 家主 今のボートはなんか別の素材でしょうね。
263 青年 なんとか樹脂ですかね。
264 妻 ボートは無生物ですよね。
265 家主 そりゃ、そうでしょう。
266 青年 喋らないし。でも動きますね。
267 家主 漕ぐ人がいなけりゃうごかないよ。
268 妻 風に吹かれて動いたり。
269 家主 いい風景ですね。
270 妻 水のある公園は大好きですよ。
271 青年 どうしてだろうね。
272 通行人 こんにちは。2回めですけど。
273 青年 家、大丈夫でしたか?
274 通行人 ああ、あれ、あいつ。
275 家主 オドラデク。オドラデクですか?
276 通行人 いたいた。5匹も。
277 青年 匹?オドラデクは1匹2匹ですか?
278 通行人 1個、2個かな?
279 家主 しゃべるってことは生き物でしょ。
280 青年 一個ではないですね。
281 通行人 これからどうなるんでしょう?
282 青年 オドラデクがね…
283 家主 どうなるんだろうね。たしかに。
284 青年 オドラデクを駆除した世界。
285 通行人 どこかにオドラデクがいる世界。
286 読者 これは作者の意図ですか?
287 作者 ちょっとやめてくださいよ。
288 読者 だってあからさまでしょ。
289 作者 ちょっとはずかしくなってきましたよ。
290 家主 オドラデクって言いづらいね。
291 通行人 オレダデクとか、オドレダクとか。
292 妻 つい、いい間違えますよね。
293 家主 答えがでませんね。
294 青年 答えがないとか?
295 家主 もともと問題がないとか。
296 青年 答えは簡単には出ませんね。
297 通行人 だいたいあいつら寿命があるんですかね。
298 家主 生き物だから寿命はあるでしょうけど。
299 妻 生き物ですかね。
300 通行人 しゃべるし、立ち上がるんだから。
301 青年 生き物か。
302 通行人 ですかね。
303 妻 でもsiriだって喋りますけど、生き物ではないですよ。
304 青年 ペッパーくんだって。
305 家主 あいつは立ち上がるし動くね。
306 通行人 でもsiriもペッパーも寿命はあるよね。
307 妻 オドラデクにも?
308 家主 命あるものには何か目的があるからね。
309 青年 目的ですか?
310 通行人 人間にだって何かしら役割が割り当てられていて。
311 家主 小さな虫にだって何らかの目的がある。
312 通行人 そんなもんですか。
313 家主 そりゃそうだろ。
314 青年 その目的のために身をすり減らしていって寿命をむかえる。
315 通行人 オドラデクにも何か目的があるんですかね。
316 妻 どうでしょうね。
317 家主 いや、ないね。
318 通行人 あいつらにはないように思えるね。
319 家主 子孫を増やすわけでもなく。
320 妻 生物学的な目的とか。
321 家主 利己的な遺伝子とか。
322 通行人 そんなの全然関係なく。
323 青年 オドラデクには関係ないんですね。
324 家主 いつもボロボロの糸を引きずって。
325 青年 どこかで朽ち果てることもあるんだろうか。
326 家主 誰にも関わりを持つことなく。
327 青年 誰にも害を及ぼすこともなく。
328 通行人 森の奥の誰も知らないところで倒れる木みたいに。
329 家主 私や私の子供や私の孫にも関わることなく。
330 妻 寿命が無限なら私よりずっと長生きして。
331 家主 私が死んだ後もずっとそこにいてあいつは。
332 青年 オドラデクはずっとそのままですか。
333 妻 地球温暖化なんて関係ないんでしょうかね?
334 青年 絶対関係ないね。
335 妻 そう考えるとそれはそれで優雅ですね。
336 青年 優雅?
337 妻 いいまちがえました。憂鬱ですね。
338 家主 そんなところ間違えますか?
339 通行人 ちょっといやですね。
340 妻 私そろそろ帰りますね。
341 家主 そうか。気をつけて。
342 妻 玄関先のオドラデク、まだいますかね。
343 家主 いなくなっても、またやってくるよ。
344 妻 とにかく先に帰ってます。
345 ではみなさんさようなら。
346 通行人 私もやっぱり帰ります。家が心配でね。
347 青年 さようなら。
348 家主 じゃ、また。
349 読者 またっていつですかね。
350 作家 私も帰るよ
351 読者 作者が帰っても差し支えないんですか?
352 作家 誰も困らないよ。
353 物語は誰も知らないところで勝手に進行するんだ。
354 読者 誰もいない森の奥でひっそりと倒れる大木のように。
355 家主 私たちも帰ろうか。
356 青年 そうですね。じゃ。
357 家主 さようならっていうのはね。
358 青年 知ってます。それは。
359 家主 なんだ、知ってるんだ。
360 青年 さようならば、これにて御免とか。
361 さようならば、それならば。ってことですね。
362 家主 そうですね。じゃ、さようなら。
363 青年 あっ、ここにも。
364 家主 こんなところにまで。
365 青年 なんとも憂鬱ですね。